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「宇都宮餃子®」から、地域の活性化と日本食文化を継承

宇都宮市の地域文化として根付く「宇都宮餃子®」を通した、地域活性化と餃子文化の普及振興を目的に2001年に設立された、日本で唯一の餃子の協同組合である宇都宮餃子会様。

これまでに、「宇都宮餃子祭り」などのイベントの開催や、メディアを通じた広報宣伝活動から餃子の魅力を発信し、約240もの加盟店(※2024年2月現在)と共に宇都宮市及び栃木県内の地域・観光振興などに貢献されています。

今回はニッポンフードシフト推進パートナーの、行政や民間との連携により地元の名物「餃子」をアイコン化し、地域振興や食文化振興をする取組について紹介します。


「餃子の街」を支える「宇都宮餃子会」

今回は、2007年から宇都宮餃子会に携わり、現在専務理事をされている鈴木章弘氏に、宇都宮餃子会の成り立ち、これまでの経緯、活動内容などについてお伺いしました。

宇都宮餃子会
専務理事
鈴木章弘氏

【インタビュー内容】
宇都宮餃子会は、餃子を生業にした店主により構成された組合で、餃子だけの組合としては日本唯一の協同組合です。戦時中、旧満州へ派兵された部隊である陸軍第14師団の師団司令部が宇都宮にあり、彼らが餃子の作り方や味を持ち帰ったことが、宇都宮における餃子の起源と言われています。そこから長い期間を経て、気が付けば宇都宮におけるソウルフードになり、日常にあって当たり前の食べ物となっていました。

今でこそ、「餃子の街」を語る際によくでてくる「一世帯あたりの餃子支出額」ですが、1987年から総務省の家計調査に餃子が項目として加わりました。その調査をもとに、1990年に宇都宮市役所の職員研修において研究テーマとして餃子を取り上げ、宇都宮市における餃子の消費量が日本一であることが分かり、 「餃子の街」であることを発表しました。また、同時期の1989年、宇都宮唯一の観光地でもあった大谷町の地盤が大きく陥没してしまい、ネガティブな情報がメディアを通じて広がり、観光客が激減する出来事がありました。なんとか観光客を取り戻すため対策を検討している中で、市役所の商業観光課の沼尾氏が「餃子の街」という研究発表に目を付け、餃子を通した街おこしを企画しました。このことが、宇都宮餃子会の発端になります。まず、宇都宮市内の餃子店を口説き落とすことから始め、1993年には宇都宮餃子会という任意団体を発足、2001年には事業性を持つ法人格である協同組合化に至りました。

「協同組合 宇都宮餃子会」創立総会の様子

行政の呼びかけをきっかけに誕生しましたが、補助金なども全く受けず構成された民間団体であることは、非常に珍しい成り立ちです。最初は渋々集まって来たというのが皆さんの率直な感想だったとは聞いていますが、宇都宮で最も古い餃子専門店である宇都宮みんみんの当時の伊藤信夫社長があまりにも熱心に沼尾氏が取組む姿に感心し、伊藤氏の協力を得たところから風向きが変わったのではないでしょうか。初めに集まったのは10店舗程度でしたが、その10店舗からさらに声掛けをしてもらい、38店舗で団体をスタートしました。

任意団体のため収益はありませんでしたが、様々な工夫を凝らしてイベントを開催しました。大食い・早食いが流行っていた際には、夏祭りのイベントとして、餃子の早食い大会を開催し、役所からの10万円程度の予算と、各組合員の手弁当で予算や人を捻出して運営していたものです。このような夏祭りなどのイベント運営という内々での取組がメインでしたが、当時人気タレントの山田邦子さんのテレビ番組「おまかせ!山田商会」で7週にも亘り「宇都宮餃子大作戦」という形で取り上げられるのをきっかけに、対外向けの取組も拡大していきました。番組のおかげで、「餃子の街を見たい」、番組で企画し設置した「駅前の餃子像などを見たい」、という観光客が増え、対外向けの活動にも力を注ぐようになったのです。しかし、番組で取り上げられたお店にはお客さんが増えましたが、一方で郊外の店舗では、なかなかお客さんが増えないのが実情でした。そこで商工会議所が地域を盛り上げる国の補助金を活用して、各店舗の特色を伝えられる場所として宇都宮餃子のアンテナショップを発案、事業の側面で宇都宮餃子会がバックアップをすることになりました。そして、アンテナショップを開始して3年目に永久貸与という形態で商工会議所から受け継ぐ上で法人格が望ましいと考え、相互扶助の組織である協同組合を選択したことが組合化までの経緯です。

アンテナショップ 来らっせ本店の様子
(常設店舗[上段]、日替り店舗[下段])

私自身は2007年から広告関連の業務において、外部メンバーとして入ったのがきっかけで、宇都宮餃子会に関わり始めました。その後、東日本大震災で、被災した店舗や観光客の激減など様々な困難な状況の中、当時の役員から宇都宮餃子会を本気で一緒にやろうと声を掛けて頂き、「餃子の街」を維持したいという想いから参画しています。その際に「中華料理の一つではなく宇都宮餃子ブランドを確立しよう」というコーポレートアイデンティティをつくり、ブランドの位置づけを変えるために、中華料理を想起させる柄、色、書体を一切使わないよう、外部メディアにもお願いして努力してきました。組合メンバーとの相互理解も初めから上手くいったわけではなく、まずは同じ仲間になるために、店主との深いコミュニケーションを継続するように努め、製造現場にも入らせてもらいながら、少しづつ理解をしてもらえるようになりました。長い年月を掛けて、今では組合員と硬い絆をもたらす信頼を得られていると自負しています。

長年、宇都宮餃子を支えてきましたが、次第に店舗でのお客対応も負荷が増し、生産の機械化や冷凍技術の実用化など様々な革新・改善が進み、餃子づくりに関しては全国でも先端を走るようになったと感じています。コロナ禍で無人販売店を行った店舗が増えた事もあり、組合には現在約70屋号、240店舗ほどが加盟しています。

加盟店が展開する様々な種類の宇都宮餃子®

様々な危機を「餃子」で乗り越えてきた宇都宮

地域活性化や餃子文化の普及振興における具体的な取組についてお聞きしました。

1.「宇都宮餃子®」の商標化

【インタビュー内容】
協同組合化の狙いとして、宇都宮餃子会に事業性を持たせることに加え、「宇都宮餃子®」の商標を取得することがありました。宇都宮餃子の人気が広がり、全国でも受け入れられるようになると、一方で百貨店などの催事で模倣品が出回るようになりました。その中には、カビの生えた商品などの粗悪な物もあり、その苦情が宇都宮餃子会に来ることもあり、対応・対策が必要だと考えていました。そこで、宇都宮餃子の権利化、ブランド化を目指して、商標登録をすることを決めました。特許庁へ何度も足を運び、宇都宮市の協力も得ながら数年かけてやっと商標を取得しました。商標登録することで食品として「宇都宮餃子®」のブランドが確立し、ブランドマネジメントを推進することで、地域の発展にも寄与することができたのです。模倣品への対応としても法的対応が可能となり、権利をしっかりと守ることが出来ています。さらに、宇都宮餃子会における事業として、食品メーカーの商品を監修し、収益のある活動ができていることも商標化によって実現できた一つです。また、商標によって商品の差別化の一つになっていることは組合員の共通認識になっています。

ブランド化が進むと関係者や市民の意識も変わっていきました。もともと、宇都宮の方々の傾向として、餃子を大々的に発信することに躊躇しているようなところがあったのですが、山田邦子さんの番組を皮切りに、徐々に宇都宮は「餃子の街」であると、自信を持って発信できるようになっていきました。最近では、Z世代などの若い人たちが、宇都宮餃子に初めから自信をもって発信している印象があり、時代の変化を感じています。実際に、大学の研究テーマとして宇都宮餃子を取り上げることも増えていて、今では年間20件程度インタビューを受けています。

「宇都宮餃子® 」のロゴイメージ

2. 自治体と連携した「宇都宮餃子®」のブランディング

【インタビュー内容】
宇都宮市役所とは宇都宮餃子会の成り立ちから関わりがありますが、主に観光のコンテンツとしての宇都宮餃子を一緒に盛り上げてきた経緯があります。しかし、宇都宮餃子が認知されるにつれ、ブランドとして推進していくためのコンテンツとしての活用方法や、さらにふるさと納税における連携なども行うようになっています。ふるさと納税に関しては、当初、宇都宮は農産物だけを取り扱っていましたが、宇都宮餃子会から餃子を提案し、今では納税額が5~6倍になったと聞いています。意外にも、地元の方たちの中で宇都宮餃子の活用に気付いていない点がまだまだ多く、さらなる活用を推進していきたいと考えています。

市役所と15年ほど一緒に取組ませていただいていますが、市役所の考え方も大きく変わり、多くの部署から宇都宮餃子会へご相談いただくようになってきました。例えば、次世代型路面電車LRTについて、一見餃子には関わりのない取組ですが、プロモーションに関する相談を受け、開業に際してLRTの形をした餃子を考案しました。宇都宮餃子がアイコン化され、市の取組にも貢献できるため、宇都宮市のブランド推進の加速に向け、市役所とは以前より深く連携をしています。

次世代型路面電車をイメージした「LRT餃子」

3. 「宇都宮餃子®」による地域振興

【インタビュー内容】
地域振興という意味では、東日本大震災後の町おこしが大きな取組でした。戦後の貧しい時代を餃子で乗り越え、大谷町の陥没危機も餃子で盛り上げ、苦しい時ほど宇都宮には餃子があります。そこで、市長のもとで餃子を通じた町おこしをすることで、震災で失われたものを取り戻そう!と呼びかけたのです。まずは目に見える形で成果を上げたいと考え、餃子の消費量を伸ばすためにスーパーで惣菜餃子の販売量を増やそうと、食品メーカーを巻き込んだキャンペーンやタイアップなどを宇都宮餃子会がバックアップしました。また、宇都宮から毎日のように餃子の話題が発信されるよう、プレスリリースも含めてこまめに様々な情報発信を行いました。宇都宮餃子会に共感した新聞社や広告代理店の助けもあり、横浜赤レンガ倉庫で3日間のイベント「宇都宮餃子祭りin YOKOHAMA 」を実施したことは大きな出来事でした。

市役所への取材も実施し、設立に際して0から1を生み出した喜びや困難だったことなどを聞き、発信もしました。その他、山田邦子さんの番組をトレースするような形で、餃子の曲を見出し活用したり、「食卓に餃子を」をキャッチコピーにアイドルをプロデュースするなど、様々な取組を行いました。多くのメディア取材を受けられるようになったのは、これら様々な努力の結晶だと考えています。大人が真面目にバカバカしいことをすることで、コンテンツとして魅力あるものになり、ニュース番組を始めバラエティ番組などでも多く取り上げてもらいました。震災後の難しい時期ではありましたが、少しづつ観光客が増え、大きな成果を感じた取組の一つです。

「宇都宮餃子祭り2023」の様子

宇都宮を名実共に「餃子の街」へ

宇都宮が名実ともに「餃子の街」になれるよう、今後の取組についてお聞きしました。

【インタビュー内容】
現在、餃子を目的とした観光客はコロナ禍前を超えて年間800万人~900万人にものぼり、ブランドだけが先行していることに課題を感じています。「名実ともに餃子の街であれ」ということを真剣に追い求めないと、過去の「餃子の街」になってしまう懸念を感じています。そのため、ブランドだけでなく、味、サービス、品質も含めた「餃子の街」を実現することが当面の目標です。各店舗が各々方針を持って運営しているため、味や経営に口を出すことはできませんが、私達が外からまたは横断的な視点で気づいた点については声掛けするように努めています。具体的には、宇都宮餃子祭りは昨年初めて3日間開催し、来場者は20万人に達しました。ここでの仕事については、お客さんとは一期一会であり、提供する餃子にベストエフォートを尽くして欲しいと参加店には伝えています。普段は自分達の店で仕事をしていますが、他の店の仕事を見れるチャンスであるため、良い仕事は参考にして欲しいということも呼び掛けています。さらに、参加者の仕事ぶりをカメラで撮影し、後々振り返りができるようなサポートをしており、DVD化して全組合員に配ることもしています。自ら向上心を持って、良い仕事を参考にしながら切磋琢磨できるように支援していきたいです。

「宇都宮餃子会」組合員の皆さま

今後は若年層にも餃子を浸透させていくことが必要だと感じています。若い世代に興味を持ってもらうには、SNSなどでの発信に加え、シズル感やリアリティも求められるため、それをいかに融合させるかがポイントだと考えています。例えば、餃子を焼いている瞬間などをいかにSNSなどで伝えていくか、です。ユーザーとのコミュニケーションや企業とのコラボレーションなど、時代のニーズや技術に合わせたアプローチを模索し、ファン層を増やしていく努力を常にしています。

最後に、餃子食文化のステージアップを図ることも今後の大きな課題です。その一環として餃子キットを開発しました。自宅でお子さんと一緒に簡単に楽しく餃子を作り、そして外食でも餃子を食べたくなるように仕掛けたいという想いから地元の漬物製造会社とコラボして作りました。この餃子キットは、元々漬物工場で廃棄される野菜を活用し、フードロスの削減にも貢献しながら、美味しい餃子の材料として提供できる商品です。このようなな取組を全国の会社と協業しながら推進し、餃子食文化の振興と環境にも貢献していきたいです。

廃棄される野菜を活用した手作り餃子の具(餃子キット)


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